2016/05/20

ではやみくもに褒めて育てりゃいいかというと、もちろんそういうわけではないわけで…


 最近はつくづく「やさしい」社会だなと思う。
 青木無常でございます。

昏迷(素材)


「やさしい」という言葉の意味は、もちろん字義どおりの部分もあるわけですが、その陰に「踏みこまない」「向き合わない」「表面だけ」とかそういうネガティブな事実も含まれている、という意味で。「やさしい」社会。



 むかしのように頑固おやじとかそういうのはもうほぼ見かけない。

 見知らぬ他人様の子どもがけだものそのものの社会性のなさを存分にまきちらしながら迷惑行為を放出しまくっていても、頭ごなしに怒鳴りつけるような行為そのものが社会的に悪と決めつけられかねない世の中なので。

 しかたがないです。

 もちろんむかしの頑固おやじとか罵倒社会が正しいというつもりも毛頭ない。

 愛ある指導もあったのでしょうけど、そういうのはむしろごく一部で、大部分の人間は社会が許容していることをいいことに自分の悪感情を吐き散らして発散しまくっていただけなのではないかと私は思います。

 だから、社会がやさしくなったのはいいことではある、とも思う。

 正直むこう三軒両隣的な、プライバシーもくそもなしにずかすが他人の心に踏みこんできて独善を糞尿のごとくまきちらしておきながら「よいことをしてやった」みたいな気分になられるよりよっぽどマシってもんですし。



雲間の灯火(素材)


 いまの子どもらが社会生活を充分に学べないまま困惑し苦しんでいたとしてもしょせん他人事ではございますんで。

 ま、もちろんいまの子どもといってもまともな人間もたくさんいますし、そういう子どもらはむかしもいまも人生をきちんと謳歌しているのではないかとは思いますけど。

 わしゃ自分がまともじゃないので、今の子どもらの生きにくさをフォローしてあげるほどの余裕はないんじゃよごほごほ。ほほほ。



 さて、昨日は人格否定で育てたら人間はどうなってしまうかというのを実地で実験してしまった極悪非道な社会実験の一例についてご報告いたしました次第でございますが。

 ではやみくもに肯定すればうまくいくかというもちろんそうではないわけなんですけども…世の中というものはどうも極端といいますか…

 どうもなんでもかんでも肯定すればよろしい、というような風潮も(一部では?)実在したらしい、と思えないでもないような部分を含んだ人材育成に関するニュースがございまして…


東洋経済ONLINE 2015年07月13日
「褒めて育てる」では自信は生まれない!
http://toyokeizai.net/articles/-/76442


雷鳴(素材)


 なんかニュースのタイトルだけ見ると「褒めて育てちゃいけない」みたいな感じになりかねないけど、もちろんそうではござんせん。ほっ。よかった。(^_^;)

 褒めるだけではいけない、という話。



 で、このニュース記事の前半部分では『なぜ女は男のように自信をもてないのか』という書籍の内容がごくざっと紹介されているようです。すなわち、

政財界・ビジネス界のビッグネームへのインタビューを皮切りに、心理学、脳神経学、遺伝子学などあらゆる面から、自信について調査されて
いるという内容。

 たとえば、中身はいまいちなのに自信たっぷりな態度の人と、謙虚でつつましく内容もある人とでは、往々にして前者が出世していくことがある、というような記述がまず出てくる。

 原著はアメリカのものなので日本には即していない部分もあるようには思えますけど、それでも自信は重要であるという見解は昨今日本でも叫ばれている心理学でもあります。

 ビジネスにおいて「自信」と「能力」、どっちがどれぐらい重要なのか?生まれつき「自信」のある人はいるのか? それとも後天的に身につくものなのか?「自信」と「プライド」と「自分への信頼」は、何が違うのか?
というような、自信にまつわる疑問について取材されたノンフィクションが上の書籍だとのこと。興味がわきますな。



手(素材)


 じゃあ、褒めて育てれば自信がついた人間になるのか、というとそういうわけでは決してない、というのが後半の記事内容。

 ほめておだてておかないと今の若者はすぐ辞めてしまう、というような風潮は私も近年感じていて、それが冒頭の「やさしい」社会云々という述懐へとつながったわけですが。

 もちろんそれだけでは、根拠のない自信、逆境に簡単に屈してしまう弱い人材ばかりが横行してしまう。

 このやりかたは誤りだったことがわかった、とかボケた記述がありますが、そんなのはむしろ自明の理なんじゃないかと私は思うんですがね。(`▽´)



 ではどうすればいいのかというと、失敗を経験させるべき、ということらしい。

 まずは行動する。すると当然、失敗する。めげずに行動する。また失敗する。こうして小さな失敗を繰り返すことで、失敗への抗体がつく。その結果、後に大きなリスクを前にしたとき、「ま、たいしたことないだろう」と平然としていられる。これが真の自信の正体
という論理。なるほどですな。

 実際、失敗をおそれてトライしない愚は私の半生でも顕著な欠陥であることは認識してまして、結局まわりを見わしてみても失敗を過剰に恐れずトライ&エラーのくりかえしを平然とこなしていける人間は強い。

 自分を信じろとかあきらめないとか努力は必ず報われる(`▽´)とかいうのも、結局はこれにつながってくるのでしょう。

 行動して失敗する。

 これを挫折体験といちいち感じて萎縮してしまっている人間が「大衆」という地位に安んじて日々愚痴をたれ流しながらハードルの内側でぐるぐる同じことをくりかえしているのが一般人という層の正体…なのカモ…。(`▽´)



それでもまた(素材)


 失敗してもめげないで前進しつづけることが、本当の自信につながる。

 …という、いわれるまでもなくしごくまっとうで論理的な結論が示されるわけであります。



 そう。わかってても、実践できなければもちろん意味はない。

 でもまあ失敗したらめげてもうトライしたくなくなってしまうのが凡人のゆえんでありますので、そこは自分を褒めることで乗り切りましょう。

 小さく失敗する、というだけでなく。

 小さく成功する、という体験も積み重ねていく。

 ということでございますよ。(^-^)



みずみずしく(素材)


 根拠なく褒めるわけではなく、でもどんな小さなことでも成功したらきちんと成功体験として胸に落ちるように。

 過剰に謙虚である必要はない。

 電車に乗り遅れなかったとか、そういうことでもなんでもいいからとにかく小さくても成功したことをきちんと自分で褒めて、少しずつでも階段を昇っていこう、と、そういう結論でいかがでしょうか。



 老い先短い身でどれだけ階段昇れるんだかとかゆわれる前に本日はこのへんで。(^-^)
 最後まで読んでくれてありがとう。
 それでは、また~(^_^)/~~




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