2016/03/09

脳のデータをデジタル空間に「移植」できるからといって、不老不死の実現と呼べるのか?


 コピー先の「私」は不老不死カモしれませんがね。
 青木無行でござんす。ざんす。


オリジナル



 前々回前回とPRESIDENTのニュース記事を元に、30年後の未来をご紹介してまいりましたが本日は最終回。

 いささかディストピアめいた観測となりましたが、しかたねえじゃん。

 てか、現状のおおかたの予測者が能天気すぎる、つーかモノ考えてなさすぎるんじゃね?




  ☆脳のデータをデジタルに移植も可能に?


 ニュース記事にあるように、これをもって即「人間の肉体からの解放」ととらえ得るのかどうかは、これまた私は疑問に感じてはいるところなんですがね。

 まあとにかく脳のデータを丸ごとデジタル空間に「移植」できるようになるかもしれない、との予測。


 で、これなら意識がデジタル空間で永遠にでも生きつづけることも可能、とニュース記事は結んでいるんですけど、これちがうだろ。


コピー



 まず「データ」を移植すればそこに「意識」も移植されるのか、という疑問。

 記憶を外部に預けることができるのは(自在に参照できる前提であれば)歓迎すべきことだけど。

 脳の「中身」を、意識や感覚も含めて移植できるものなのか。

 できない、とはいわない。
 ただ、わからない。
 見当もつかない。

「データ」を「すべて」移植できたとしても、そこに意識が芽生えるのかどうかが、想像できない、というか。


コピーコピー



 さらに。

 仮に電脳空間に意識を「移植」できたとしても。

 それって、「移動」ではなく「コピー」なのではないか?

 われわれの肉体にある脳に宿っている(と思われる)「意識」を丸ごと電脳空間に「コピー」したとしても、元データであるわれわれの脳が消えてなくなるわけじゃない。

 この時点で、それは「私」が永遠に生きるのではなく、コピーされて新しく生成された「もう一人の自分」が永遠に生きるだけの話なので、肉体に閉じこめられたままのほうの「私」は肉体の寿命がきたら死ぬ。

 理の当然の話。

 この手の話は現時点ではこのへんを混同している場合がほとんどだ。迂闊にもほどがある。

 なんらかの事情で脳死とかしたらデータをサルベージしてコンピュータに、というならコピー元の「私」としても意義を感じられなくもないが。

 脳は健康でも肉体がまったく動かなくなったら…?

 迷うけど、やっぱりコピー先の「私」が「私」と同一であるというわけではないし…単なる自殺とか安楽死よりはマシかもしれん、という程度かな。


コピー∞



 まあ。
 それ以前に。

 30年後にわしは生きていられるかなあ。
 という疑問はおおいにございますから。(`▽´)
 たぶん、死んでる。

 生きてたら、それこそ医療技術の飛躍的進歩でもない限りよぼよぼで一人じゃ風呂にも入れないミイラじじいになってるだろうしね。(`▽´)



 まだまだ若いと己にいいきかせつつ本日はこのへんで。
 最後まで読んでくれてありがとう。
 それでは、また~(^_^)/~~




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