2015/08/06

「人間の本性を描いた」SF、などと称されると途端に底が浅く思えてしまうのは私のようなひねくれ者だけか?


 なんつーか。しらけてしまう?
 青木無常でありますよ。







 まあここでそれを紹介すること自体も、同じ愚をくりかえす愚のおそれ大いにございますがね。(`▽´)


kotaku 2013.10.16 23:00
最も恐ろしいのは人間? 人間のダークな本性が描かれる名作SF10選
http://www.kotaku.jp/2013/10/hard_to_leave_i_am_legend_off_this_list.html


「kotaku」の記事は興味深くておもしろいものが多いんだけど、こういうのはどうも鼻についてしまう。







 紹介されているSF作品は10編あるんだけど、われわれにはなじみのないものも。

 たとえば映画『遊星からの物体X』はともかく。
 あ? 知らない?
 んじゃ簡単にネタばれあらすじ。( ̄ー ̄)

 南極の氷に閉じこめられていた宇宙船を偶然発見して掘りだしてみたら、復活したエイリアンが怪物と化して襲いかかってきたので炎で焼き殺すことにした。

 人類やその他の生物に擬態することのできる怪物を敵にして、主人公たちは果たして生きる残ることができるのか…?

 てな感じ。







 それをネタ元にしたピーター・ワッツ(だれ? そもそも(^_^;))の短編、とかゆわれても。

 この短編、エイリアン側からの視点で描かれているらしいんだが

なぜわざわざ掘り起こした? 帰ることもできないのに? なぜ生き返らせた途端に殺そうとする? それなら氷漬けのまま殺してくれればよかった。
 とか紹介されても、感情移入のしようがない。

 それなら人類側も、なんで襲いかかってくる?
 とか、
 なんで同意してもいないのに無理やり同化しようとする?
 となる。

 まあ読んでないので詳細は不明だけどさ。たしかに。(^_^;)



 なんでこれ1番目に紹介してるのかな? (`▽´)







 さらに2番目のも短編。
 書いたのはアーサー・C・クラークと有名中の有名な大御所ではあるものの(^_^;)。

『天の向こう側』は読んだことあるけど、正直この短編の内容はまるで覚えていなかった。(^_^;)



 中盤で紹介されている『ギアーズ・オブ・ウォー』シリーズというゲームもはっきりいってまったく知らん。

 正直、シューティングゲーム(?)に後味の悪い「加害者は人間」設定を、それもエンディングではなくゲーム途中で仕込むってのはおもしろさ損なわないのかね。

 これもプレイしたことないのでわからんけどな。



 



 これらを除けばそこそこだれもが知っているといっていいラインナップと強弁できなくもない感じではあるかな。

 まあ「ゲド戦記」や『闇の左手』で有名なル=グウィン『世界の合言葉は森』なんか、既読のはずなんだけどストーリーとかカケラも覚えていないけどね、わしは。(^_^;)



 とはいえ。

『第9地区』あたりは主題そのものが根本的・積極的に人類告発にあるからまだしもだけど。

『第9地区』は、難民として地球にやってきたエイリアンとそれを迫害する地球人の対立を描いた異色の“人類上から目線SF”。しかもドキュメンタリー風に話が展開するという、これまた異色の撮りかたの作品。


 


 ベトナム戦争への従軍体験から想を得たといわれる『終わりなき戦い』のどんでん返しや『E.T.』で描かれる「大人の醜悪さ」と子どもの純粋さとの対比を文明批評めいた説教くさい文言で飾られても…

『終わりなき戦い』は宇宙に進出した人類が突如なぞの異星人に攻撃され、何世紀にもわたる戦争の端緒となってしまったことを描く物語。主人公は「ウラシマ効果」によって何世紀にもわたって従軍し、家族や知人もつぎつぎに他界し、社会や言語や文化までも変容していくことに苦しみながら戦いつづける。
 ちなみに『E.T.』は説明の要もないだろうが一応説明しておくと、醜悪だがどことなく愛嬌のある外見の異星人と地球の子どもとのヒューマニティあふれる交流と結末を描いたスピルバーグの代表作のひとつ。



『アニマトリックス』の「セカンド・ルネッサンス」もむしろ『マトリックス』の世界観を矮小化させるイメージがなくもなかったし。

『アニマトリックス』は、いわずとしれた『マトリックス』世界をネタにしたいくつかの短編アニメからなるオムニバス作品で、「セカンド・ルネッサンス」は人類がマトリックスに支配されるまでの過程を描いた作品のひとつ。映像は美しかったがストーリーはよくあるディストピアものという印象しかない。


 


『新・猿の惑星』と『猿の惑星・征服』の場合は、異なる製作陣が担当したシリーズをみごとに円環と化して閉じた労作だが、だから人間は邪悪で猿が反乱を起こしたのも無理はない、とまで進んでしまうと。

 娯楽作としても高いクオリティをほこる作品をむしろ貶めてしまうおそれなきにしもあらず。



 せっかくだから、ここで『猿の惑星』シリーズの概要も説明してしまおうか。

 完全にネタばれするから未見の場合はこのさき注意な。
 読むんなら自己責任で。



 通常『猿の惑星』シリーズというと昭和版『猿の惑星』シリーズのことをさす。ここでもそれに習うこととする。







 1作めの『猿の惑星』。

 光速をこえた宇宙船がたどりついた惑星は猿に人間が支配される恐怖の世界だった、というもの。

 人間は言葉をしゃべることができず、言語を理解する主人公テイラーは猿たちの驚愕をさそう。

 人間に同情的なチンパンジーの科学者夫婦との交流や、知性を持つ人間に嫌悪と危機感を抱くオランウータン博士との対立などを経てテイラーは“禁断の地”へと逃亡するのだが…と展開し。

 最終的にその惑星は、実は「未来の地球」だったというどんでん返しで終わる。







 砂に埋もれた自由の女神像という衝撃的なラストシーンが印象的だった一作めの好評を受け、続編として製作されたのが『続・猿の惑星』。

 後発の宇宙船で前作の宇宙船を追って“猿の惑星”にたどりついたもうひとりの主人公ブレントは荒廃した未来の地球で、コバルト爆弾を信仰(!)するミュータントと化した人類に遭遇する。

 猿と人類の戦争に危惧を抱いたブレントは再会したテイラーとともに戦争をやめさせようと奔走するが、あまりにも身勝手な両陣営のしうちに絶望し、ついにテイラーがコバルト爆弾のスイッチを押してしまう。

 未来の地球が滅亡、というあまりにも身も蓋もない結末がこれまた衝撃的な作品であった。

 また、通常の人類の外見をしていた未来人たちが実はマスクをかぶっていた、という小どんでん返しも用意されており、マスクをとり去った下からケロイド状の顔があらわになるシーンはけっこうトラウマものの衝撃度。







 この流れでどう続編が? という感じだが、とんでもない力技が炸裂する。

 それが3作めで、上でも紹介されていた『新・猿の惑星』。

 なんと、一作目でテイラーに同情的だったチンパンジーの夫婦コーネリアスとジーラが地球消滅の直前に宇宙船で脱出、たどりついたのは(1973年当時の)“過去の地球”だった!

 知性ある猿はマスコミなどでも大きくとりあげられ人気ものとなったが、未来の地球が猿に支配されると口をすべらせてしまい命をおびやかされることに…

 最終的に夫婦は命を落とすこととなってしまうが、知性ある夫婦のあいだに生まれた子どもがひそかに生き残り…



 



 と、まさしく続編製作をにおわせる終わりかたで幕を閉じ、4作めの『猿の惑星・征服』へとつづく。

 この作品はコーネリアスとジーラの息子が猿たちを率いて反乱を起こし…という流れで5作めの『最後の猿の惑星』へとつながり、すでに確定している地球の未来へとつながらぬよう人類との共存を模索する穏健派とタカ派のゴリラ種族が対立し…と展開する。



 ついでに原作のピエール・ブールの小説にも言及しておくと、概要は1作めと同様だが主人公たちはどうにか宇宙の彼方の『猿の惑星』を脱出して地球へ帰還を果たす、と。

 だいぶ映画とはラストがちがっていたのが印象的だった。

 なんでえ、映画のほうがどんでん返しがあっておもしろい終わりかただな、と読みながら思ったのだが…


 


 ところがどっこい。

 帰還した地球の宇宙港に降り立つと、(ウラシマ効果でかなり未来になっていたのか?)迎えに出たのは猿だった…という、これまた映画とは別種のどんでん返し。



 共通するのは人類が猿に滅ぼされる未来、というディストピアそのものの結末か。







 こういう内容を人類の邪悪さとか「本性」とやらに結びつけるのも駄目だとはいわないが、どうにも底の浅い解釈に感じられてしかたがない私の受けとりかたに問題があるのか…

 …と最初の命題に無理やり結びつけたものの。



 わかりやすさを志向した結果、各作品のわかる限りでのあらすじまで添えなければならない羽目に陥りいつものとおり長尺化してしまったのはなぜかというと。





 後日更新予定の記事内容に引きずられてしまったからだという皮肉な結末。



 いろいろと難しくて思うとおりにいかないけど本日はこのへんで。
 最後まで読んでくれてありがとう。
 それでは、また~(^_^)/~~












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