2013/09/10

人を食ったヤツら

人肉ってのはうまくない、という話を子どものころ
きいたことがあるような気がする青木無常ですよ。

うん。
あくまでも“気がする”。



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なに?
昨日の記事?

動物だから残虐なのはあたりまえだ?
んじゃ、その動物の一種の話な。(`▽´)
おまえらもよく知ってる動物だ。


ロケットニュース24 2013年1月28日 の記事
多発する北朝鮮の「人食い」事件 / 空腹に耐えきれなくなった男が食料としてわが子2人を殺害する


飢饉。
社会で習いましたかな。

わしらが子どものころは、アフリカの
飢えた子どもたち宛の募金をよく見かけた
ような気がしますが。

最近は、アフリカはどうなのかも知らないし。
北朝鮮で飢饉が多発、というのも、
ときどき洩れ聞こえてくる程度。


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そもそも、あふれ返るモノに埋もれて
日々刻々フラストレーションに悩まされていても、
肉体的に飢えたことがある人など、この日本には。



飢饉というと、どうしても歴史時代の
イメージがわいてきますかね。



ジョージ秋山先生の、不朽の怪作
(名作? そんな腑抜けた言葉は使いたくもないわい!)
『アシュラ』も、時代的には歴史上の
設定だったんでしょうしねえ。


以下、ネタバレ大量に含みますので、
読むんなら自己責任でどうぞ。


アシュラという、不気味な容貌の少年が
飢饉まっただなか母親に殺して食われそうになるという
ショッキングな漫画でしたよ。

いまさら解説するまでもないかもしれませんが、
販売禁止になったり有害図書指定されたりと、
さまざまないわくがついた
まがうかたなき怪作であります。


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ま、ジョージ秋山先生自体がきわめつけの怪人で、ほかにも
われわれ当時の子どもにすさまじくトラウマを植えつける
強烈きわまりない作品をたくさん出している人ですけど。

復刻版あたりのコミックスで私は読んだんですけど、
救いようのない結末で、黒ベタのコマに
「生まれてこないほうがよかったギャ」というような
叫びが描かれていたと記憶しています。

で、実は。
それ以前に、少年ジャンプで、まぼろしの最終回を
あらかじめ見てしまっていた記憶もあるんですよ。

当時ジャンプでは、毎年決まった時期に
人気作家の読切作品を一挙掲載する企画が行われていた、
と、これも記憶はあいまいですけど、
その企画の一編だったのではないか、と、これもさらにあいまい(^_^;)。

その結末では、物語全編のキーマンのひとりである
和尚のもとで、頭を丸めて僧侶になったアシュラが
テレて「てへっ」と笑うシーンで終わっていました。

往年の『アシュラ』ファンには、気のぬけたような
終わりかただったのではないかと推測するのですが、
私はその終わりかた(もっとも、終わりしか見てなかったけどさ、当時は)が
けっこう好きだったので。

復刻版だかのそのコミックスで見たとき、
その幻の最終話が収録されていなかったので、
かなり不満だった記憶が鮮明ですねえ。


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まあ、生まれてこないほうがよかった、てのは
アシュラの代表的なセリフそのものだったので、
いま考えてみると、まさしく、これしかない、
という終わりかただったのかもしれませんけどね。

とにもかくにも、くだんの作品は
ジョージ秋山先生の、あの、独特の絵柄と内容が
激しくマッチしたすさまじい描写の連続。

作品全体に怨念が、それこそ死ぬ寸前の餓鬼の
腐ってただれた皮膚・肉・骨のようにこびりついていて。

でも、そうしてまで生きていかなければならない
人間の本能のおそろしさや哀れさをも
感じさせる内容――と、これは、
こざかしい大人の知恵がついたカスのような感想

…かも、しれませんがね。

この『アシュラ』去年あたりに映像化された
みたいなんですけど、こちらは
どういう結末になっていたんでしょうかね。

見たいような。
見たくないような。

ちなみに現在は、連載版の『アシュラ』は幻冬舎から出版、
完結版は青林工藝舎というところから出てるジョージ秋山の
選集の第2巻『銭ゲバの娘プーコ アシュラ 完結編』
というのに収録されているそうです。



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本宮ひろ志先生の『大飢饉』という短期連載も
ジャンプで見たような記憶がありますな。
もっともこれは、内容はほとんど覚えていないし、
絵柄もなんかおかしかったように思った。

なんとなく、これは本宮ひろ志先生ではなく、
アシスタントとか弟子が書いたんじゃないか、
と疑っていたような気がする。

実際、どうだかは知りませんがね、もちろん。

覚えているのは“つちがゆ”という
すさまじい食べもののつくりかたが
最後に描かれていたこと。

文字どおり、土から作るかゆで、
飢饉がきたら、これで飢えをしのぐことができる、
みたいな感じだったような気がします。
うろ覚えだけどねー。



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諸星大二郎先生の「諸怪志異」シリーズの
『篭中児』という短編も、中国の歴史時代における
飢饉がメインのしかけになっていました。


こちらもネタバレ。気ィつけろよ。
設定から完全に書きちらしちゃったから、
これ読んでから原作読んだら興ざめもいいとこだよ。


見鬼(死者の霊を視ることができる人)である
主人公の少年阿鬼が、師匠の五行先生と旅の途上で
“死者の国”にまぎれこんでしまい、
その中でくり広げられる物語。

異様な雰囲気の村は、実は飢饉で滅びた過去の世界。

子どもを殺して食うという忌まわしい行為を天帝が憎んで
外界と隔絶した異境となさしめ、飢饉の年のその地獄絵図が
毎年くりかえされる、という設定でした。

タイトルの『篭中児』の由来は
飢えに耐えかねて、子どもを篭(かご)に入れて
村人が山に集まり、それぞれ篭をとりかえて帰り
篭のなかの子どもを食って飢えをしのいだ、と。

そういうすさまじい話。


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さらに、大きい子どもをみな欲しがったので、
公平に暗闇の中でとりかえた。

で、自分の子どもが入った篭を
そうと知らずに持って帰ってしまった男がいて、
見まいとして目をつぶって食ったので、
天帝に“目を取られ”てしまう、という。

阿鬼は、子どもたちがかわいそうといって泣き、
五行先生も子どもに罪はないと
天帝に上奏する、という結末につながっていきますが。

子どもを殺して食った村人たちに、
罪はあったのか。

罪があったとして、そんな所業を
否応なく無限にくりかえされる地獄に
落とされるほどのことなのか。


そういうことを、考えさせられます。



私は、人間は自動機械、
と深く疑っている人間なので。

どんなにりっぱなおかたでも、
たまたまそういう境遇におかれたために
りっぱに育つことができただけで、
悪人の境遇に生まれれば、悪人に育つ。


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…という可能性が高い、
と思っているので。

アシュラの時代に生まれれば
子どもを殺してでも自分が生きのびることしか
考えられなくなったり。

天帝が大岩でふさいだ中国の村に生まれれば
子どもを篭に入れて山中におきざりにし、
持って帰った子どもが自分の子であったと気づいても、
気づかぬふりをして、目をつむって食べたり。

――は、絶対にしたりしない!

などと、口が裂けてもいえないです。

(余談ですが、だから、
“現在の境遇を嘆いているだけでは人生はかわらない”
式のアジテーションを見ると、それはそうだな、と思いつつも

こいつら、単にわかってないだけなんじゃないか、
という疑いも、どうしてもぬぐい切れない)



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まあ、それはそれとして。


北朝鮮の状況。
まさしく、これ。
フィクションなんかじゃない。

完全な、現実。

ま、ニュースがでたらめだったりしなければ、
と、条件をつけるまでもないでしょうが。


わが子の肉と知って、
売ることさえも辞さない
かも、しれない。


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生存本能。



もちろん。

わが身を投げうち。
子どもを生き延びさせることだけを考える。

そんな親も、たくさんいる。

…と、信じたい気持ちもありますが、ね。
自分がそうでありたい、とも。



自信は、ないな。



わしらのよく知っている
“人の心のない”動物の話。



で、なんかえらそうな反論がある場合は
どうぞご自由に。
でも、以下の質問に対する答えは用意しといてな。

じゃあ北朝鮮の飢えてる人たちに
なにをしてあげられる?
そしてその行為を、自分の生活基盤を犠牲にしてでも
してあげられる?

ちなみに。
おれは、イヤです。
まず自分。
これが地獄の原因なんでしょうけど。



本日は以上な。
それでは、また。




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