2012/08/22

秋元康のことがわからない

ご訪問、コメント、ペタ、ありがとうございます。
青木無常でございます。

私は、基本的にテレビ番組は、
リアルタイムでは見ません。
CMが邪魔なんで。

と、いうわけで。

タイトル。
いや、あたりまえなんですけどね(^_^;)。
面識があるわけもなし、
秋元康というひとのことが
わからない、なんてのはね(^_^;)。

ただ、私は彼の言葉をきくにつれ、
自分の境遇や実力を突きつけられ、
酔わされ、
絶望させられ、
涙を流させられたので。



秋元康というひとを
よくいう意見を
私はあまり知らない。

拝金主義者だとか、
夫婦でギャンブルで大金をすっているとか、
口先だけでいろいろなひとに、
お金を出させては失敗して、
詐欺師呼ばわりまでされたこともあるとか。

よくない噂、下種な噂ばかりが
耳に入ってきます。

私自身、おニャン子クラブという
アイディア勝負の、素人利用の、
泡沫のような稼ぎかたをした
口のうまい芸能界の業界人、
という程度の認識しかなかった。

自分の育てたタレントに手を出すという、
世間一般の感覚からしたら、
あまりにも禄でもない行為も、
マイナスイメージをきわめて激しく、
強化していました。

そんなすちゃらかな奴が
大成功して大金を手にしていることにも、
嫉妬とイコールのやっかみを感じていました。



むろん、秋元康の作った詩も、
ほとんど知りませんでした。

「川の流れのように」という楽曲は
知っていましたが、
それをつくったのが秋元康だとも、
思いもしませんでした。



だから、AKB48の
いくつかの楽曲をきいて、
びっくりした。
そして絶望した。



「セーラー服を脱がさないで」
という曲は、最悪の歌詞でした。
ふざけてんのか、といいたいくらい、
おもしろいけど、ひどい歌詞、
と感じました。

別にだいきらい、というほどでもないけど、
ヒット曲としてとか、
バラエティ関連としてとかではなく、
歌詞として考えるなら、
感動とはほど遠い内容というか。

AKB48でいえば、
「スカート、ひらり」
「制服が邪魔をする」なども、
まさにそのイメージに
沿った内容の歌詞でした。

まさしく秋元康だな、と。

この二曲に関していえば、
いまでも印象は変わっていません。
セールス的に、あるいは
コピーライティングとして
どうなのかは知りませんが、
あまりいい歌詞だとも思わないし、
好きでもない。

「会いたかった」
「僕の太陽」
いい曲、曲にあった詩、とは
思っていましたが、
心に響いてはいなかった。

「夕陽を見ているか?」だと
いい歌詞だな、とは思いましたが、
どうせてきとうに作ったんじゃないの、
という気持ちも、なくはなかった。
自分のことを好きになれないことで、
狂おしく懊悩していた私としては、
歌詞の一部に反発すら感じていました。

すちゃらか芸能界をわたり歩いてきた
秋元康にそんなこといわれたかねえや。
みたいな、ね。

「桜の花びらたち」
非常に感動しつつも、
「のせられている」
「踊らされている」自分に
苛立ちを感じてもいました。



だから。
「大声ダイヤモンド」の歌詞に、
ひっかかりを感じたときまで、
あまりまじめに耳を傾ける気にも
なりませんでした。

否。
「大声ダイヤモンド」で感じたひっかかりも、
最初は、私をふりかえらせることはなかった。

「10年桜」がリリースされた頃に、
AKB48という、名前だけは知っていたグループに
興味を持つきっかけがあり、
つべで「大声ダイヤモンド」のPVを見て、
なによりPVのできのよさに魅かれて、
歌詞自体の持つ「力」が
希釈されてしまっていたことが
その大きな原因だったのかもしれません。

「10年桜」も、いまでは
好きな歌詞のひとつですが、
当時は、歌詞をきいてすらいませんでした。

そのあとに出た「涙サプライズ!」なんて、
ただの誕生日ソングじゃないですか。
カラオケで、友だちに歌ってあげれば、
そりゃ盛り上がるでしょう。

誕生日を友だちに祝われた経験すら
ほとんどない私にとっては、
腹すら立つほどそらぞらしい歌としか
思えませんでした。

この歌は、今でもきらいです(^_^;)。

ですが。



「言い訳Maybe」



この楽曲で、秋元康へのイメージが、
がらりとかわる日がきました。

いえ。
現実の秋元康をまったく知らない以上、
イメージが変わった、とはいえません。

わからなくなってしまったのです。



「言い訳Maybe」

この歌の歌詞は、ふわりと
まるでどこからともなく降ってきた
羽毛のようなものが、
西陽のさしこむ放課後の教室、
ひとり机に伏して、ものおもいに
ふけっている目の前に
舞い降りてくるように、
私の魂に入り込んできました。

いつのまにか。
気がつかないうちに。

歌詞の解析とかはいたしません。
(ので、ご安心を(^_^;))
小説なら別ですが、
歌詞は、ちょっと解析とは、
心情的にマッチしないですから。
(そんな余裕はない、という本音も
隠されていますが、実は(^_^;))

というわけで。

このまま進めます。



「RIVER」

「RIVER」です。

秋元康さん。

あなたは、なぜ
こんな歌詞をつくれるのですか。

初めて「RIVER」をきいたとき、
私はそう思いました。

物語をつくるものとして、
幾度となく私は、自分の才能のなさに
絶望してきた。

「夢」という言葉の甘美な響きの陰に、
どれだけの現実がひそんでいるか。
知っているつもりで踏み出し、
幾度となく叩きのめされ、
土の味を、血の味を
のまされてきた身に。

なぜこんな歌詞を、
あなたはふりそそがせてしまうのですか。

幾度も幾度も、川をわたろうとして、
その冷たさに、流れのはやさに、
向こう岸で、あるいは私の背後で、
無関心に行きかうひとびとの
目にもとまらぬまま
たったひとりでもがき苦しみ
自己撞着しつづけてきた私に、
なぜこんな歌詞を、あなたは。

私はそう感じました。

とどかぬ想い。
見果てぬ夢。
現実という卑小で、痛烈な鞭。
生活という重い重い枷。

私の言葉はどこにも届かず、
だれにも響かないのに。

なぜあなたの言葉は、
これほどまでに
私のこころをふるわせるのですか

と。



そして。



「チャンスの順番」



じゃんけん大会という、
おそろしく思いつき感の強い、
それでいておそろしくおもしろさと
期待感を感じさせる
きわめて俗で、
当事者たちを
ある意味おもちゃ扱いしている
一大興行。

その渦中で、その意図されたところを
あまりにもピンポイントで打ち抜いた、
内田眞由美という少女の快進撃。

ファンのあいだでは、
内田だけは勘弁、という空気も
あったともきいています。

ですが、その後の経緯も含めて、
私は内田眞由美こそまさしく、
このじゃんけん大会という
「(運以外の)実力」を排除した
選抜方法において、
ふさわしい人物はいなかったのではないか、
と考えています。



私は予感していました。
チャンスをつかんだから、
成功にたどりつけるとは限らない、と。

だから。

「チャンスの順番」

何度きいても、涙が出てくる。
泣くような、泣けるような歌詞では
ない。

チャンスは必ずだれにもくるから、
そのときのために自分にできる
あらゆることをやっておけ。
そして、チャンスがきたときに、
それを最大限に活かせ。

そういう歌詞です。

でも。

それでも。

内田眞由美が、当時、なにをどう感じ、
また現在、なにをどう感じているか、
もちろん私にはわからない。

でも、オリコン一位まで獲得し、
その後のAKBの勢いを増しこそすれ、
とめることがなかったことに、
私はかなり安堵しました。

偶然とはいえ
必然のごとくつかんだチャンスを
せいいっぱい活かそうとがんばる内田を
応援していました。

でも、楽曲の成功とは裏腹に、
内田や石田は、
チャンスを活かしきれていないという、
もどかしさも感じていた。

ふってわいた機会に、
翻弄されていたのかもしれないし、
選抜に、センターに入れれば、
あとはどうとでもなる、
と楽観、油断、過信
していたのかもしれない。

翌年の総選挙の結果ほど、
残酷な現実はないでしょう。

私も、まさかアンダーにすら
入れないとまでは、
想像してすらいませんでした。

内田のルックスが多くのひとの
琴線を響かせるもの、とは
まったく思っていません。
だが、シングルのセンターにまで立って、
圏内にすら入れないとは、
認めたくありませんでした。

年末にリリースされたにも関わらず、
年末の特番にほとんど(まったく?)
呼ばれていないことに、
大きな違和感は感じていましたが……。

それが、運営側の判断なのか、
呼ぶ側の判断なのかは知りませんが。

AKBの本流とまではいかないにしても、
せめて、その時期にリリースされた楽曲として
程度にも扱われていなかったのは……。



「チャンスの順番」に、
チャンスを得て、最大限に努力して、
なおかつ、それでもつかめない者の
底知れぬ悲哀を
私は、最初に耳にした時から
強く、強く感じていた。

不幸にして、その悲哀は現実のものと化した。

そこまでのドラマを、
あの楽曲ははらんでいた。



秋元康というひとが、
そこまで計算、あるいは感じて
あの歌詞を描いていたのかは
私には知り得べくもありません。

でも、私があの曲をきいて
感じていた、そういった悲哀を含んだ
感動をなぞるように、
現実は進行した。

進行してしまいました。

届かない……。





「くるくるパー」にも言及しておかなきゃ(^_^;)。

題名どおり、めちゃくちゃな歌詞です。
でも、この曲に、限りないやさしさを
感じてしまうのは私だけでしょうか。

こんなにやさしい歌はない、と
私は強く強く思うのですが。

小林香菜という特異なキャラクターに、
彼女にもっとも似合う歌詞を、
放送電波にのせられないような言葉に託して
こんな楽曲にしたて上げてしまうなんて……。



他にも、いくらだってある。

「誰かのために」

「ひこうき雲」

「僕のYELL」

「抱きしめちゃいけない」

「手をつなぎながら」

「初日」

「アイドルの夜明け」

「あなたがいてくれたから」

そして「軽蔑していた愛情」



秋元康というひとは、
ちまたで思われているとおり、
口先と人脈だけで、
ひとのこころの機微を、
おもちゃでも扱うように軽く、
右に左に自在にあやつりながら、
生きてきたひとなのでしょうか。

まるで子どもが虫を観察し、
手足をひきちぎり、
もがき苦しむさまを見つめ、
腹を引き裂いて中身を仔細に研究し、
生態を知り尽くして知識とするように、
ひとが感動するメカニズムを熟知して、
生み出されたものなのでしょうか。

そういうものに、
私は魂をふるわされ、
ひとり涙を流させられているのでしょうか。

だとしたら、私のように、
ひとのこころのよめない、
類推もできず、そのために苦しみ、
懊悩してきた人間などに、

自分のこころの動きからしか、
物語をつむぐことのできない人間などに、
ひとのこころに響く物語など
現出することは不可能ではないですか。

私がどれだけ魂をこめて物語をつむいでも、
それがだれかのこころに届く日は、
金輪際こないのは、むしろ当然の帰結、
ということに、なってしまうではないですか。

だから、絶望させられる。


もしかしたら、世間一般に浸透している
秋元康という人物像は、
まちがっていないのかもしれない。

でも、たとえそうだとしても、
私は、私たちの魂をふるわせる
歌詞を書いているときの秋元康には、
少なくとも真情の発露が働いているものと、
信じたい。

信じたいです。

でなければ、高橋みなみのようなひとが、
秋元才加のようなひとが、
黙ってついていくとも、思えない。
思いたくない。



秋元康のことを、わかりたいです。



なんだか恋情の告白のようですね(^_^;)。
残念ですが、それとはちがいますから(^_^;)。



録画した火曜曲を見て、
「言い訳Maybe」と「RIVER」をききながら
そんなようなことを感じて書きました。


というわけで、最初の一文に戻ります。
火曜曲、生で見ればよかった……(T_T)。
んああっ!

 

追伸」に続きます(^-^)


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